外野の存在

内野と外野

内野と外野と聞けば、真っ先に思い浮かぶのが野球です。
野球に詳しくない人でも、ホームベースから見て1塁ベースや2塁ベースなどがあるあたりまでを内野といい、その先の広大なエリアを外野ということはなんとなく知っているのではないでしょうか(図1)。

図1 内野と外野

野球で守備側がピンチになったとき、投手の周りに内野手が集まるのを見たことはありませんか?
時にはベンチからコーチも出てきて、いろいろ話をします。
打たれて動揺している投手に声がけをしたり、次の一手を決めて周知したりと、重要な作戦会議の場です。

このとき、外野はどうなっているでしょうか。
外野手は、この作戦会議には加わりません。
外野は遠いから仕方ないよなと思っていたら、野球をしている人から聞いた話では、作戦は投手と塁を守る内野手だけで決めるもので、外野手の意見は不要なのだそうです。
よくいわれる「外野は黙ってろ」はこれを厳しく言った言葉、つまり外野は口出し無用、ということのようです。

野球の話はこれくらいにしておきましょう。

地域活性化の内野と外野

地域活性化に取り組もうとする主体を内野に例えてみます。
それは地域団体であったり、志の高い一個人であったり。
その主体が周囲の賛同を得て、いよいよ地域活性化が動き出す時点での活動の場を内野と表現しようというわけです。
まさに上の野球の例で挙げた、投手の周りに集まって開く作戦会議のイメージです。

一方で、活性化を進めようとする主体とはまったく無関係の存在のことを外野と呼ぶことにしましょう。
もちろん外野は当初誰もが活性化と無関係の存在ですが、その後は次第に次の3種類に分かれていきます。

  • 応援者
  • 批判者
  • 傍観者

地域活性化を進めるにあたってこの3種がどう影響してくるのかを考えてみましょう。

応援者

活動を見守って精神面で応援をしてくれる人、資金面の支援や人的サポートのように直接的に応援してくれる人。
そのどれをとっても、もちろん応援者は多ければ多いほうがいいに決まっています。

一人でも多くの応援者を、というのは地域で活動をするときの鉄則です。
すでに身近に応援者がいるのなら、一人でも離したくありません。
すれ違いを生まぬよう、日頃からよくコミュニケーションをとり、夢を語り合うことが大切です。

批判者

どんなすばらしい取組であっても、すべての人が賛同してくれるわけではありません。
利害的に対立してしまう人はいうまでもありませんが、そこまでガチガチでなくても、なんとなくあの人のやることは気にくわないとか、あの人はあんまり好きじゃないなどの問題で批判側に回る人も当然多くいます。

前項で、応援者は一人でも多くいるほうがよい、と書きました。
同じように考えれば、批判者を一人でも減らしたほうがよい、となりますが、果たしてそれでいいでしょうか。

もちろん、結果として批判者が一人もいなくなったなら、その取組のすばらしさの証左ですので問題はありません。
しかし、そのような状況になることはまず稀。
むしろ、批判者を減らそうと躍起になればなるほど批判者が増えるという不思議な現象が待っています。
なぜでしょう。

批判する側の立場に立ってみると、地域活性化の取組に批判するだけの理由があるから批判をしているのであって、重要なのはその批判者は「取組をいったん咀嚼している」ということ。
批判というのは、受ける側にとっては辛いものですが、しっかり考えてくれた上での反応であることを忘れてはいけません。
だから、批判を取り除くことが目的であるかのような説明を繰り返すと感情的な対立を激化させるし、批判をかわそうと当たり障りのない説明をすれば取組の魅力が失われて批判が増すのです。

批判者がいることがあたりまえと思って動じない、むしろ批判者がいるということはしっかりと説明ができている証拠と思って、大きく構えていることが重要です。
そうすれば、なんとなく批判している人、主体性なく批判している人など、強い対立軸のない批判者は次第に心打たれ、自然に減っていくことでしょう。

傍観者

ここまで読んでお気づきと思いますが、いちばん厄介なのはこの傍観者です。
一見、ネガティブな存在である批判者に対し、ニュートラルな存在に見える傍観者のほうが無害に思えますが、違います。

字のごとく、「傍」で「観」る「者」なら、観てくれるだけまだましです。
もっとも多いのが、取組に対して無関心、無知、それゆえ取組の存在にすら気づいていないという傍観者。

さらに、傍観者は応援者や批判者より圧倒的に数が多いという事実。
せっかく地域のためにと新しい取組を始めても、応援してくれる人わずか、批判する人わずか、あとはすべてどうでもいいと思っている/取組の存在を知ろうともしない人たちです。

この人たちに取組を知ってもらうこと、関心を持ってもらうことは一筋縄ではいきません。
選挙でいえば、無党派層や浮動票、あるいは棄権組ということになるでしょう。
議論の相手にもならない大多数の傍観者を前に、ただただうんざりするばかり。

あたりまえのことですが、他人を巻き込むためには自分がやろうとしていることを丁寧に説明する以外にありません。
しかし、たとえどんなに崇高な取組であっても、その存在を知らない人に向けていくら声高にアピールしたところで無反応です。
それでは身も心も疲弊してしまいます。

ではどうしよう

もっとも手堅いのは、地元で有力なキーマンを応援者につけること。
そうすれば、あの人が賛同しているなら、とそのキーマンを核にじわじわと応援の輪が広がっていきます。

キーマンを応援者につけるためには、しっかりと内野に招くことです。
野球の内野のように、外野は黙ってろ、という態度を取るのではなく、きちんと外野から内野に招き入れて(遠ければ迎えに行ってでも)、作戦会議に同席をお願いし、議論に耳を傾けてもらうのです。
ときには意見も求めながら、取組に徐々に加わってもらえるとよいでしょう。

ただし、活性化の取組が「いいことやってるな」といった他人ごとのように伝われば、「がんばれよ!」という声がけなど精神面での応援にとどまるかもしれません。
もちろんそれでも十分に大きな力になりますが、活動を進めていくにあたってはやはり直接的なサポートも必要になるもの。
そのためにはもっと踏み込んで説明し、その取組が地域のためになる、あるいはその人のためになると伝えることが必要です。
そうすれば、もしかすると資金面や人的な面での応援をもらえる可能性が高まるでしょう。

活性化の主体が外から移住してきたばかり、などの事情で誰がキーマンか分からない場合は、行政に訊けばすぐ分かります。
地域活性化の取組ですから、行政とのコネクションもきっとあるはずです。
その担当者に、どの人を巻き込めば有効か、ストレートに訊いてみるのがよいと思います。
行政の担当も、地域が賑やかになる取組であれば喜んで教えてくれるはずです。

逆にこの記事を読んでいるのが行政の担当の場合は、悲しいかな、地域からそんな取組が生まれていない状況です。
主体となる人をまず育てなければなりませんが、そのためには「機運」というものが必要になります。
そろそろ空気を変えないといけないな、重い腰を上げないといけないなというムードを地域に作るのです。
その場合は、セミナーやシンポジウムを開いて地域の有力者を巻き込むのがよいでしょう。
きっとそれが地域活性化のシンボリックな狼煙となり、参加者の中から主体となる人が生まれることに繋がるはずです。

KOBESTもセミナーやコンサルティングを引き受けています。
地域ではあたりまえすぎて見向きもされなくなっているところに宝石が埋蔵されているかもしれません。
外から見た視点で、その宝石を掘り起こすお手伝いをいたします。

(2023/3/6記)

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